むかしの話

昔mixiで書いてた話の再掲が中心

⑧ヤクルト菌

昔のブログを加筆修正して載せます。

ヤクルト菌

【2008年6月22日 記】

 

 

社会人になってから10年以上通い続けていた床屋がある。

場所は茨城県ひたちなか市というところ。

最初の職場がひたちなか市だったため、

そこの職場の人に紹介して貰った地元の店だ。

 

それ以来、

異動で県内何処の街に引っ越しても通いつづけた。

 

 

10数年も通っているので、

もう『常連』という扱いである。

何故そこまで通い続けたかというと、

椅子に座れば何も言わずに切ってくれるところが

面倒臭くなくて大変良いからである。

1回1回細かい説明をしなくて良い。

顔剃りも同じ。

髭の濃さや肌の強い弱いまで

店主のオッちゃんは全部知っている。

 

あとは、小松政夫似のオッちゃんの人柄。


オッちゃんとのトークは、

無口過ぎず、喋り過ぎず、バランスが非常に良い。

しかも内容の8割ぐらいがプロ野球ネタ。

 

店には報知新聞が置いてあるので、

おそらくオッちゃんは巨人ファン。

しかし、オッちゃんは色んなお客を相手にしているから、

巨人ネタに偏らず、各球団のネタを満遍なく持っている。

さすがプロの技だ。

たぶん報知新聞や朝のニュースで、

各球団のネタを毎日仕入れているのだろう。

 

もちろんカープファンの私にも、

カープに限らず他球団、

そして球界全体の話題まで

幅広く振ってくる。

 

 

5年ぐらい前に地元のひたちなか市民球場

ヤクルト対広島戦が開催された時は

それはそれはトークが盛り上がった。

 

地方にプロ野球がやってくるなんて

年に1度あるかないかのことなので、

地元のプロ野球ファンにとっては一大イベントだ。

どこのチームが来るなんて、

一部の特定チームファン以外は関係ない。

 

私もカープが来るということで観戦に行った。

オッちゃんは店が営業日のため

行けなかった。

 

観戦に行く前と行った後の散髪は

終始ほとんどその話題になった。

 

 

ところが、

どうもそのあたりから、

オッちゃんのトークに異変を感じた。

その当時は気付かなかったが、

今思うと様子がおかしくなってきたのは

たぶんこの頃からだろうと。

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

床「最近ヤクルトさん調子悪いねぇ」

  注:オッちゃんはいつも球団を『さん』付けで呼ぶ

私「あ~、そうですねぇ」

(各球団満遍なくだから、たまたまヤクルトを話題にしてきたのだろう)

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

床「古田さんは兼任監督で大変だねぇ」

 注:ヤクルト兼任監督就任後

私「そうですねぇ、大変だと思いますよぉ」

(確かに29年振りの選手兼任監督は大変だ)


『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

床「今度は新宿だから神宮球場が近くなって良かったねぇ」

 注:新宿に異動着後 注2:神宮球場はヤクルトの本拠地

私「はい、嬉しいっす」

(当然、神宮でもカープ戦をやるので嬉しいに決まってる)

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

床「古田監督辞めちゃったねぇ、引退試合は観に行ってきたの?」

 注:古田兼任監督退任直後

私「行ってきましたよ、スゴイ人でしたよ」

(対戦相手がカープだったので行かないわけにはいかない)

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

 

アンジャッシュのコントのようだ。

 

 

オッちゃん同様、私もプロ野球全体の話が通じるので、

見事にオッちゃんの話に乗っかっていける。

また、神宮球場で観戦することが多かったので、

当然ヤクルトのことは相手チームでの中で

1番よく知っている。

だから、オッちゃんの話の中で反応できない話は

一つも無い。

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

オッちゃんは次から次へとヤクルトネタを振ってくる。

そして私も普通に応戦する。

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

もう完全にヤクルト寄りなトークだ。

比率が完全にヤクルトファンと同じだ。

 

 

いや、毎年広島市民球場

観戦に行っている話はしているし、

時折カープの話題をこちらから話してみたりもしている。

店の前に停める車はマツダカープの親会社)の

赤(チームカラー)の車だし、

何故この車を買ったのかのその時に説明もしている。

たまにカープの赤いTシャツを着て

散髪に言ったこともある。

 

ただの赤いモノ好きなヤクルトファン。

 

 

『オッちゃんは私のことをヤクルトファンと思っている。』

 

ヤクルト菌が満載だ。

 

 

でも、オッちゃんとの楽しいトークで、

こんなやり取りをしていても

不快に思ったことは1度も無い。

 

 

もう少しヤクルトファンでいよう。

 

オッちゃんの前では。

⑦リンダリンダの夜明け

昔のブログを加筆修正して載せます。

リンダリンダの夜明け」

【2008年2月29日 記】

 

 

1998年ぐらいの6月ぐらいの話。

 

仕事が終わって2つ下の後輩社員1名、

2つ下のアルバイト1名、

そして、4つ下のアルバイト3名、

計6名ぐらいでカラオケに行った。

 

みんな仲が良くて、

月に1~2回ぐらいのペースで

仕事帰りにカラオケに行っていた。

 

 

宴もたけなわになってきた頃、

私は「一休さん」を唄った。

あのとんちんかんちんな歌だ。

 

いつも通り、盛り上がった。

 

続いて、

誰かがブルーハーツの「リンダリンダ」を入れた。

 

この曲も盛り上がる曲の定番だ。

 

前後の流れからして盛り上がらないワケがない。

 

一休さん」直後の私も、

気分絶好調の状態でイントロを迎えた。


サビの部分に入れば、場内のムードは最好調。

 

まだみんな20代。

甲本ヒロトのように飛び跳ねたり、

壁を蹴ったり、イスを倒したり。

2階の一番奥の部屋は無法地帯と化した。

 

 

ここのカラオケBOXは雑居ビルの

3フロアぐらいを使っての営業。

元々は違う用途で使っていたところを

カラオケBOXに改装したらしく、

新しくカラオケBOXにするために、

部屋ごとに壁で仕切ったり、

壁側の部屋とかは窓から音が漏れないように

厚さ10~20cmぐらいの防音材で

窓側一面を塞いでいたりしていた。

(それはあとからわかったことだが…)

 

 

そして、事件はおきた。


私はいつものリンダリンダの時のように

壁を蹴飛ばしていた。

 

人間のキック力などでは

当然ビクともしない。

 

 

普通なら。

 

 

ところが、

 

右足が、

 

壁にすっぽりとハマった。

 


時刻はすでに明け方5時過ぎ。


明るい光が差し込んできた。

 

朝日だ。

 

そこは、窓だった。

 


運悪く窓の上を塞いでいた所を蹴ってしまったようだ。

 


全員、

時間が止まった。

 


残り時間30分ぐらい残っていたが、


もうリンダリンダどころではない。


いや、もはやカラオケどころではない。

 


「壁をぶち抜いたのは私です!」



でも、

 

とっさにみんな考えた。

 

とりあえず、

「穴を隠そう!」

 


バカな発想だ。

みんな若い。


何か隠すものはないかと、

室内を物色し始めた。


誰かが、

「店長のおすすめメニュー」

という、ポスターを指差した。

 

「これで隠そう!」

 

 

さすが俺の後輩たち。


でも何か違和感を感じる。


普段はソファの上、

頭の高さぐらいの位置の

「店長のおすすめメニュー」が、

何でもないところの壁の、

腰ぐらいの高さの位置に

何故か貼ってある。

 

「OK!OK!」

 


一同何も無かったかのように退室。

そして、フロントで精算を済ませた。

 


バレるわけがない。

自信満々だった。

 


当然、

バレた。



後輩は受付の時に正直に電話番号を書いていたので、

その日のうちに、お店から電話が掛かってきた。



(正直に電話番号を書いたヤツから)

「お店から電話が掛かってきたんですけど…」

 


「壁をぶち抜いたのは私です!」



素直に謝りに行くことした。

 

 

「壁をぶち抜いたのは私です!」

 

1人で全部払って弁償する覚悟をした。

 


「壁をぶち抜いたのは私です!」


だから誰にも頼らず、

1人でカラオケBOXに向かった。

 


カラオケBOXの店長は、

幸か不幸か店の常連様だった。


(私)「この度は申し訳ございませんでした。」

(店長)「あー、いつもお世話になってるよ。」

 

 

(知り合いだからいいよ、いいよ)みたいな、

何もかも免除みたいなコメントを期待した。

 


それは通用しなかった。



(店長)「とりあえず見積もり貰うから、

     またその時に来て。」

 

 


4万円だった。

 

 

「壁をぶち抜いたのは私です!」


もらったばかりのボーナスから

4万円が無条件で旅立っていった。


それからというもの、

カラオケBOXに行く時は、

以下の点に注意した。

 

・窓側の部屋かそうでないか。

・部屋の壁の材質は大丈夫か。

・壁を叩いて、向こう側は空洞でないか。

 

上記を確認してから、

騒ぐようにした。


(おいおい、蹴るのはやめねーのかよっ!)

 

みなさんもカラオケBOXで

バカ騒ぎする時は

十分に気を付けてほしい。

 

 

「壁をぶち抜いたのは私です!」

⑥ノンアンコウ鍋

昔のブログを加筆修正して載せます

「ノンアンコウ鍋」【2008年2月10日 記】

 

 

 

前回に続いて2006年ぐらいの話。

この頃私は茨城県水戸市に住んでいた。

 

水戸の名物といえば、

納豆や黄門様光圀公や偕楽園

全国的には有名だろうか。

 

全国的に有名、までのレベルではないが、

水戸から北部沿岸にかけては

「アンコウ鍋」も名物のひとつ。

北部沿岸では冬になるとアンコウが水揚げされるので、

郷土料理として食されている。

 


見た目はヌメヌメしていてグロテスク。

 

その見た目からは

とても美味しいとは想像しがたいが、

西のフグに対して東のアンコウとも言われるように、

通の人たちからしてみれば、

フグと肩を並べるほどの美味しさ。

ということらしい。

よって、

水戸市内にはアンコウ鍋を扱う店が点在している。

 

私も1~2回口にしたことがあるが、

小骨が多く、若干クセのあるイメージが残ったので、

それ以降は口にすることはなかった。

 

 


この年は父が還暦になった。

 

父の還暦祝いということで、

両親、

母方の祖母(以下婆ちゃん)、

母の妹(以下叔母)、

計4人が観光を兼ねて

私の住んでいる水戸に来ることになった。

 

事前に母から、

「還暦祝いだから、

 お昼は地元の名物とか、

 地元で有名な店とか予約しといて」

と言われた。

 


(とりあえず、アンコウ鍋でいいや)

 

 

安易な判断をした。

 

 

全国的に有名になってほしい

という想いも多少あった。

 

 

(父の還暦祝いだし、婆ちゃんも来るし)

 

いや、おもてなしの心だ。

 

そこからは真剣に、

色々な情報を入手して店選びをした。

結果、水戸市内で一番有名で、

しかも「元祖」的な店を選択。

予約も入れた。

 

(フフフ完璧だ)

(お前ら黙ってアンコウ鍋に舌鼓を打つがよい!)

 

 

 

当日を迎えた。

そして、私を含めた親戚一同5名で

いざ、アンコウ鍋の店へ。

 


母「へぇ~、なかなかイイ店選んだねぇ~」

他3名「うんうん。」

   「いいねぇ。」

   「高くないのかい?」

 

(いいぞ!いいぞ!早くアンコウ鍋を注文するんだ!)

 

母「アンコウ鍋はコースなの?」

店員「コースも単品もあります。」

  「単品は2人前からです。」

店員はその他アンコウ鍋やアンコウについて、

詳しい説明を始めた。

 

親戚一同店員の説明に耳を傾けている。

 

(おぉ! 食いつきがイイぞ!)

(もう、君たちはアンコウの頭上の疑似餌に騙された

 小魚のようだ!)

 

 

私は進んで食べる気はしないので、

私「うどんと釜飯のセット!」

 

 

父も以前アンコウ鍋を食べた時、

あまりお気に召さなかったらしく、

父「天麩羅定食!」

 

母「私も。」

(まあまあ、しょうがない。夫婦だね。)

 

 

婆ちゃん「うどんと天麩羅のセット!」
(まあまあ、

 婆ちゃんはもう86歳だから無理しなくてイイよ。)

 

 

そして、叔母

「あたしゃ、天丼!」

 


え゙ーーーーーーー!!!

 

 

おいっ!!!!!!!

 

 

お前ら!

 

 

アンコウ鍋喰わねぇのかよっ!

 

 

何で?何で?

 

 

俺が一生懸命リサーチしたんだぞ!!!!!

 

 

誰も喰わねぇのかよっ!

 

 










 


注文を受けた店員も不思議がる。

 


そりゃそうだろう、

寿司屋に行って寿司を食わない、

焼肉屋に行って焼肉を食わない。

それと一緒だ。

 

 

他のテーブルの客も不思議がっている。

そうだろう、そうだろう。

皆さんのテーブルには全て

アンコウ鍋が乗っているからな。

 

 

 

5人で店を出た。

1人私だけ、何か気まずい想いをしながら店を出た。

 

(フグにはまだまだ勝てないな、、、)

 

 

残念ながら、

アンコウ鍋が真の名物になるまでには

まだまだ時間が掛かりそうだ。

 

 

当時は市民として、

もう少し有名になってほしいと思った。

 

 

アンコウだけに、

早く全国的に『アンコウル』される日々が来てほしい。

と。

⑤大物助っ人外国人

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「大物助っ人外国人」【2008年2月1日 記】

 

 

 

2006年ぐらいの話。

 

草野球の練習試合に呼ばれた。

お前の力が必要だから、と呼ばれたわけではなく、

ただ人数が足らないから、という理由で呼ばれた。

 

野球観戦は大好きだが、

野球の経験は全く無いので、

実践は全然うまくない。

だから、頭数として呼ばれた。

 

 

自チームも相手チームも

職場仲間+その友達みたいな構成で、

両チームとも本気で勝負!というよりかは、

和やかなムードで試合前のアップが始まった。

 

 

相手チームのアップの様子を見ていると、

メンバーに1人外国人が混じっていた。


白人で190㎝以上の長身、

口ヒゲとアゴヒゲをたくわえており、

いかにも「助っ人」という風貌だった。


対戦相手に外国人が居たのは初めてなので驚いた。

当然、ものすごく目立つので、

自チームのメンバーも、すぐにそれに気づいて、

どよめき始めた。

 

「おい!外人が居るぞ」

「なんだアイツ、デカイなぁ」

 


『ヘイ、ルーク!』

相手チームのメンバーが

キャッチボール中に彼の名を呼んだ。

 

名前:ルーク

情報をひとつ手に入れた。


ルークはチームにしっかりと溶け込んでいる。

日本語も流暢とまではいかないが、

極端な片言でもない。

きちんと会話をしている。

 

キャッチボールも、

外国人らしいフォームでゆったりと投げている。


しかし、我々チームにとっては、

「ルークという名前の外国人」という情報しかない。


それしかわからない。

 

「すごいヤツを連れてきたな!」

「どんだけ打つのかな?」

「今日はヤツを抑えないと勝てないぞ!」


とにかく彼のデータが何も無いので、

色んな憶測が飛び交った。

 

 

試合開始。


いよいよ彼の打席が回ってきた。

自チームの守備陣にも緊張感が漂った。

 

右打席に立った。

彼のバッティングフォームも、

まさに外国人っぽいスタイル。

スタンスをやや広くしたクローズドスタンス。

マイク・ブラウン(G)

ジェシー・バーフィールド(G)

左で言うとジャック・ハウエル(S)

みたいな。

 

 

利き腕:右投右打

フォーム:クローズドスタンス

試合中に新しい情報を手に入れた。

 


狭い草野球のグラウンド。

いかにも場外ホームランを

かっ飛ばしそうな雰囲気だった。

 

 

 

結果は、

 

三振。

 

 

次の打席も、

 

三振。

 

 

その次の打席も、

 

これまた、三振。

 

 

守備では、

何でもない簡単な外野フライを、


ポロリ。

 

 

そう、

彼はライトで8番。

いわゆるライパチくんだった。

 

 

外国人の草野球選手も初めて見たが、

プロアマ通じて日本球界で

外国人のライパチくんも初めて見た。

 

 


彼は、外国人だから呼ばれたわけではなく、

ただ単に頭数が足りなかったから、

国籍に関係なく呼ばれただけ。

 

私と同じだ。


全く期待ハズレの助っ人外国人だった。

いや、最初からライパチくんで起用するぐらいだから、

期待通りの活躍と言ったほうがいいのだろうか。

 

だから、正確にいうと助っ人外国人ではない。

ただの外国人。普通の人。

 

 

しかし、彼は楽しそうに野球をやっていた。

 

それならそれでいい。

 

 

頑張れ!ルーク!!

 

「助っ人外国人」と呼ばれる日まで・・・。

④少年ザリガニ漁師

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「少年ザリガニ漁師」【2007年10月12日 記】

 

 

 

あれは確か中学2年の時、

季節は10月~11月の頃。

 

クラスの友人4~5人でザリガニ捕りが流行った。

それも、数週間だけ流行った。

 

ザリガニ捕りというと、木の棒とかに適当な糸を垂らし、

駄菓子のイカなんかで1匹づつ釣るイメージだが、

少年漁師たちは違った。

 

なぜなら「漁師」だから。

 

 

我々の漁法は、

まず魚屋さんに行って魚の『アラ』をタダで貰ってくる。

原価ゼロ円だ。

 

そして、近くの沼みたいな所に行く。

 

早速タコ糸で結ばれたアラを水中に投下。

数分後にタコ糸を引き上げると、

アラにザリガニが一度に5~6匹しがみついてくる。

 

(フフフ、てめえら一網打尽だぜ)

 

もはや子供のザリガニ捕りではない。

これはまさに漁。

ザリガニ漁だ。

子供の遊びの域を超えている。

 

数時間も漁をしていれば簡単にバケツ2~3杯になった。

 

(今日も大漁だぜ)

 

 

え?

そんなにザリガニを捕まえる必要があるの?

それはごく普通の考えだ。


そう、

我々は「漁師」なので遊びの域も常識の域も超えていた。

 

 

捕獲したザリガニ達は、イキのいいうちに釣具屋に持っていく。

バケツいっぱいに詰め込まれたザリガニ達は、

バケツの中でシャカシャカと、こすれた音を立てながら、

自転車に揺られていく。

 

ドナドナの世界。

 

鋭い方はお分かりだと思うが、

このザリガニ達は釣りエサになる。

イカやタコを釣る時のエサになる。

 

魚で釣られたザリガニが今度はイカやタコのエサになる。

恐るべき自然界の連鎖。

 

 

ザリガニ達は1匹だいたい20円前後で買い取られる。

バケツ1杯につき大体50匹ぐらい。

よって、1杯で1,000円ぐらい。

毎回バケツ2~3杯は捕獲できるから、

1回の漁で約2~3千円の収入だ。

中学生の小遣いとしては大きい。

 

 

釣具屋という名の問屋に

何回かザリガニを卸していると、

釣具屋のおっちゃんは、我々にこう言った。

 

「今は20円だけど、もう少し寒くなると捕れなくなるから、その時は1匹40円で買って

やるよ」

「だから今日は1杯分だけ持って帰って家で飼って、また冬になったら持って来なよ」

 

と、なんとも甘い話を吹っかけてきた。

 


中学生なんかと商売をしたくないのか

その後の結末を知っていたのか

(たぶん両方だ)

 

我々漁師はその甘い誘いに乗ってしまった。

 

 

幸い自宅には使っていない大きめの水槽が屋外に放置されていた。

そこで約50匹のザリガニの飼育をすることにした。


毎日エサやりと水の交換。

大変な作業だ。

 

 

そして、
それから数日後。

 


何故か担任の先生に、この副業がバレた。

 

放課後に漁をしていた全員、

床に正座。

 

そして、

張り手の往復ビンタ。

(注:当時としてはビンタは当たり前)

 

 

なんでバレたのか、分からない。

ビンタの時そればかり考えていた。

 

 

さらに悲劇が待っていた。

 

 

気温が段々と冷え込むにつれて、

水槽のザリガニ達がどんどん息絶えていく。

 

 

共食いと寒さで数を減らしていく。

 

 

そして、

 

とうとう、全滅した。

 

 

ザリガニ全員、冬を越せなかった。

 

 

 

釣具屋のおっちゃんは、

ザリガニがそう簡単に冬を越せないのは知っていた。

 

端から40円で買い取るつもりはなかった。

 

 

そして、

学校にチクったのも、

 

たぶん釣り具屋のおっちゃん。

 

 

大人の社会の厳しさを知った。

 

 

そして、

 

ザリガニ達よ、

 

 

ゴメンナサイ。。。

③真夏の午後の紅茶ゼリー

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「真夏の午後の紅茶ゼリー」【2007年9月17日 記】

 

 

 

1994年の話。

あの夏も猛暑だった。

 

木造で築10年ぐらい、家賃35,000円前後のアパートに住んでいた。

当時の地方のアパートとしてはごく普通のアパートだ。

 

あの日、私はラーメン屋で深夜までバイトをしていた。

帰り道にコンビニで「午後の紅茶」の大きいペットボトルと、

その他食料を買って帰宅。

食事をしながら、テレビを見ながら、ペットボトルの約1/4程度を飲んだ。

そして、空が明るくなり始めた頃、枕元にそのペットボトルを置いて眠りに就いた。

 

寝る頃はまだ少し涼しいものの、数時間もしないうちに太陽が昇ってくる。

当然気温は急上昇。

 

暑い。

 

当時はまだほとんどのアパートにエアコンなど無い時代。

すぐに寝苦しい夜、いや朝がやってくる。

 

目覚ましなど必要ない。

暑くて勝手に目が覚めてしまう。

 

大量の寝汗をかいているので、寝起きの時にはそれ相応の水分が必要となる。

だから、枕元に飲み物を置いておくわけだ。

 

最悪の寝起き。

 

眠たい目をこすりながら、

早速、約3/4近く残っているペットボトルに手を伸ばす。

 

まだ午前だけど「午後の紅茶」を飲み干そうとしたところ、

飲み口からは何故か5、6滴しか流れてこない。

 

確かに3/4は残っていたはずだ。


そして、前歯に何かが止まる感触・・・。

 

ゼリー化?ヨーグルト化?した「午後の紅茶」が俺の前歯で止まっている。

ナイス ディフェンス 俺の前歯。


要するに、キンキンに凍らしたドリンクを飲む時、液体だけが流れ込み、

凍ったドリンクが前歯に止まる感じと同じ感覚。

 

急いでベランダに走り、2階から毒霧のように液体を屋外に吐き捨てた。

ゼリー化したヤツを母親の胎内のようにやさしく包み込んでいた液体を飲み込むワケに

はいかない!


猛暑、常温放置、乳脂肪成分?

様々な悪条件が重なったとはいえ、

午後の紅茶」がたった一晩でゼリー化してしまった。

 

恐るべき化学反応。

 

理科の先生も、お父さんもお母さんも、

メーカーのキ○ンさんも

誰も教えてくれなかった。


ミルクティーが一晩でゼリー化するなんて・・・。

 

 

あれ以来、

ミルクティーが嫌いになった。

 


午後の紅茶」を見ると、

あの夏を思い出す。

②豚の遺言

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「豚の遺言」【2007年7月16日 記】
 
 
豚の泣き声。
動物の中でも誰もが容易に想像できる泣き声だと思う。

これは2003年頃、茨城県のとある街に住んでいた時に、
地元民(ここでは仮に彼をケントと呼ぶ 注:ケントは日本人)から聞いた話。

ケントは免許が取れる年齢になったので教習所に通っていた。
 
その教習所の隣にはいわゆる食肉センターのような施設があった。
まあ、要するにドナドナされてきた豚を加工してpigがporkになるところだ。
豚にとっては人間でいうと処刑場のような恐ろしいところ。

学科教習中の教室の窓からは、
隣の食肉センター敷地内に無数の豚の頭が転がっているのが見えた。
何ともおどろおどろしい教習所だ。
そしていよいよ処刑の時間(pigがporkになる瞬間)となった。
 
その時間になると学科教習中だろうが実地教習中だろうが
決まってこの泣き声が聞こえてきたそうだ。
 

『ピギャー!』
 

『ピギャー!』


我々は大地の恵み、生命の恵みに感謝して、
食物を頂かなければならない。
 
 
「いただきます!」